2013年7月11日木曜日

東京電力福島第一原子力発電所 事故当時の所長 吉田昌郎氏死去

東京電力福島第1原発事故の収束作業を現場で指揮した元所長で、東電執行役員の吉田昌郎(よしだ・まさお)氏が9日午前11時32分、食道がんのため都内の病院で死去した。58歳。大阪府出身。葬儀・告別式は未定。 
http://www.minpo.jp/globalnews/detail/2013070901001787

 吉田昌郎氏が2011年3月から同年12月までの在任期間、当該施設の事故対応と収束作業にベストを尽くされた事を疑わないし、その点衷心より感謝し、福島県民の一人として心より哀悼の意を表する。
 吉田氏の知識と経験は、現在継続中の収束作業とその後に連続的に続く廃炉作業に有効である事が容易に予想された。それを発揮する機会が永遠に失われた事には落胆を禁じ得ない。

 また、吉田氏は福島第一原発で発生した事故原因について御本人以外、地上の誰も知り得ぬ情報を他者に提供することなく、あるいは提供する手段のないまま、他界された可能性があるのではないかと、私は疑っている。

 2011年3月14日頃、東京電力が第一原発からの”撤退”を口にした、との報道があった。その点でひどく批判され、当時の首相も強く抗議したとの報道もあった。

 私自身は政治の経験も無いし原子炉設備について専門教育を受けたことはない。

 しかし、10年以上システムの管理に携わった事があり、複雑なシステムに予想外の障害がつきものであり仕事として管理の仕事に携わるものがどうあるべきか、それなりに学び経験を積んできたつもりだ。

 その経験を元に感じるのは、首相という異物が原発に入り込んでくるという異常さ、それから障害対応の現場指揮官が長時間にわたって域外からの支援者ではない人物と電話で会話するという異常さである。

 手順書にない障害に対応している最中に、現場指揮者が現地要人視察について1時間以上電話で喋っていたら、もう障害復旧に遅れは必至だと思う。どうして菅直人が「自分の訪問は収束作業を邪魔していない。」と言い張れるのか、私には理解できない。

 それともう一点、「フクシマ50」などと持ち上げられている現場収束作業に携わった方々の交代要員の問題も納得がいかない。心がけて原発事故の報道には目を通してきたが、現場作業員の疲労原因のミスが含まれていたのではないか、と疑っている。収束作業に必要な資材が適切に提供されていなかったのではないか、とも疑っている。

 人と物と情報を安全な地域と交代交流させれば、事故はもっと軽微な物となったのではないか、とも疑っている。

 それから、吉田所長が大阪人である、というの私は気がかりだ。大阪の男性2人と親しいが、彼らから私が学んだのは、「損切り」という概念である。彼らが逃げるべき、撤退すべき、という判断をしたなら、それを卑怯と言ってはいけないと私は考えている。彼らが撤退を口にする時は、通常「今撤退すれば、その次に勝機(商機?)がある。」という意味であるという事を、私は経験的に知っている。

 吉田氏がどの程度”第一原発からの撤退”に積極的であるか否かはわからない。しかし、私は2011年3月14日に、福島第一原発構内作業員の中から”戦力外”メンバーを他所、例えばJヴィレッジに移し、報告と連絡をさせていたならば、東電の資材部隊、ロジスティック部門はより適切な支援が可能だったのではないか、現場が必要としているものが何であるか良い提案ができたのではないか、適切な支援物資を運びこむ事ができたのではないか、緊急対応はもっとスムーズに進んだのではないか、と漠然と考えている。


 吉田氏の病状についても疑念がある、現場指揮官にも交代が必要だ。「吉田でないとダメ」では技術ではない。それは芸術である。他の同期の所長レベルの方が代替して業務を行えなければ技術の会社じゃない。どうして2人といない事故勃発時の現場責任者をむざむざ消耗させ、死なせてしまったのか。この点で東京電力株式会社の対応に疑念を抱かざるを得ない。

 吉田昌郎元所長の冥福を祈るとともに、福島第一原発の事故原因の科学的客観的徹底究明を強く希望する。


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