2014年6月24日火曜日

「事故後10年で全て20ミリシーベルト未満」の衝撃


私の住む福島県にとって、ビッグニュースであろう。

事故後10年 全て20ミリシーベルト未満 帰還困難区域 除染後の線量 国が試算
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2014/06/post_10249.html 【福島民報】

「20ミリシーベルト」強制避難の対象となる目安となる数字だった。勿論、線量が高かった地域がその後20ミリシーベルト以下になったからと言って、すぐに避難解除となるわけではない。


私は福島市民で、強制避難区域の人達とは大分この報道の意味するところは違ってくる。

最も重要な点は中間貯蔵施設だ。

福島市の除染で出た除染廃棄物は双葉町大熊町に建設が予定されている中間貯蔵施設に30年以内を目処に保管される、というのが政府案だ。

自分の土地の汚染は当然すぐにでも除染してもらいたい。除染廃棄物も一日も早くどこかへ持ち去って貰いたい。そう望むのは当然だ。

福島市を除染した廃棄物の線量は左程高くはない。燃料棒などとは全然違うのだ。

左程高くない廃棄物を高度に汚染された双葉大熊に一時保管してもらう。
私は考えた「保管するだけでも廃棄物に遮蔽されて線量は下がるだろう。」
「福島市内で廃棄物が保管されている場所を手持ち線量計で測ると、1トンフレコンバッグのすぐ傍でも0.5マイクロシーベルト/時程度しかない。
これを毎時5~10マイクロシーベルト/時の双葉大熊町に運べば、汚染された表土上にフレコンバッグを置くだけで遮蔽されて線量が下がるだろう。」
これが私の推測だ。

その意味で、中間貯蔵施設計画は地元に受け入れて貰えるのが誰もが得をする道だと考えていた。

しかし、上記記事では、期間困難区域でも10年に満たない時期に期間可能だという。


私はこの記事を読んで、また線量低減の見通しを表にしたものを見て、双葉大熊の大部分が10年経たずに帰還できるのではないか、と考えた。

だとしたら、私の地域を除染した廃棄物が運ばれていく先が、「除染すれば住める場所」という事になる。

これはアンフェアだと思う。

私の住む福島市の市街地北東部は幸い一時避難の必要もなく事故後も住むことができた。
強制避難で仮設暮らしをしている人達も知っているが、その人達の払った犠牲に比べれば私たちの払ったそれは本当に軽いものだった。

私は自分たちが続けて住めて良かったと思っているから、当然強制避難の人達も当然(それを望むなら)自宅に一日も帰れるように最良の手当てがされるべきだと思う。
中間貯蔵施設が双葉大熊町の人達の帰還を妨げると知りつつ、私たちが中間貯蔵施設に賛成するのは正しいのか?
本当にあそこに運ばなければならないものなのか?

私は自宅に続けて住めたそれは本当にありがたいことだった。
彼らが再び自宅に住めるように、当然協力したい。
そのために中間貯蔵施設が邪魔になるならば、当然私たちも悩み考え、ベターな方法があるならばそれに向けて声を上げていくべきだと思う。